『ラベンダーはオートプロヴァンスの魂である。』

いつ頃から、人はラベンダーを使うようになったのでしょうか。ラベンダーはどこで初めの花を咲かせたのでしょうか。未だに明確にはわかっていない。どの専門書にもそう書かれてあります。これは人類の起源、 もしくは宇宙の原始を探るようなことかもしれません …

しかし、現在のラベンダーは南フランスを中心とした地中海沿岸に定着し、特にプロヴァンス地方ではラベンダーを香料と薬草として人類の美と健康に活用した歴史があります…

ラベンダーの「種の起源」は、カナリア諸島説が有力。その後、南フランスが原産地として知られる。

昔々、キリスト教の聖書では「ナルドの香油」という名のオイルもラベンダーだったと考えられることや、 最も古い文献では今から2000年以上前の古代ローマ人たちがすでに入浴のときの芳香剤として用いたり、肌着類を保存するのに使用したことがわかります。その他にも、古代アラブの女性たちが髪の毛にツヤを与えるために用いました。

植物学的な種を遡ると、最も古い植物の起源はモロッコから西に100kmほどの場所にあるカナリア諸島と言われています。そして、何らかの方法によって伝搬した地中海沿岸地域、イタリアやスペインをはじめ、エジプトなどのアフリカ諸国などにも見られるようになりました。

現在では、人間の手によって栽培し始めた南フランスなどの地中海地域を原産地と考えています。

1世紀のギリシア医師が薬草として確立。17世紀まで香りではなく現役の「薬」として用いられた実績。

今では気候変動などで自生する野生ラベンダーを簡単には見ることが出来なくなりましたが、プロヴァンス地方やイタリアの一部の山岳地帯で野生ラベンダーを見ることが出来ます。アルジャン村でも自生する野生ラベンダーを見ることが出来ます。

 

さて、人間との関わりについて、確実にその歴史に名を残した本があります。ギリシャ出身のローマの医師ペダニオス・ディオスクリデスが書いた「マテリア=メディカ (訳:薬物学)」。これがラベンダーの普及に画期的な業績となった本として知られています。 この本は西暦 1 世紀に出版されてから改定を重ね続け、なんと17世紀になっても現役で使用されました。

 

その本ではラベンダーを「貴重な植物」に分類しています。さらに「ガラス製のアランビク(蒸留器)にその花を通して(蒸留して)つくられるラベンダー油は、他のいかなる香料をもしのぐ香りをもつ。」と 述べています。

10世紀ごろ、イスラーム世界の蒸留技術と西欧のラベンダーが出会い、水蒸気蒸留法が発展し「精油」が抽出される。

ラベンダー精油を製造するための蒸留器はイスラム世界で西暦500年ごろには発明されていましたが、ヨーロッパに伝搬したのは10世紀ごろになってからです。中東の哲学者イブン・シーナーが蒸留器をヨーロッパに伝えました。
西ヨーロッパのキリスト教国が、イスラームから聖地エルサレムを奪還しようとする歴史的事件、「十字軍」がきっかけと言われます。この時に、フランス人は兵士の傷の手当てをするのにラベンダーを使ったそうです。

 

最終的に広く蒸留の技術が用いられるようになったのは16世紀ごろだと言われています。1371年、ブルゴーニュ公夫人マルグリット・ド・ブルゴーニュは当時は非常に高価だったラベンダーの苗木を集めて薬草園を作りました。当時は観賞用ではなく、自然薬として自家製の薬を作ることが目的でした。この頃から貴族の館や修道院で盛んにラベンダー畑が作られるようになりました。

セナンク修道院のラベンダー畑

中世ルネサンス期には修道院で薬草研究が行われ、ペストから感染を予防する薬草として注目を集める。香水の原型が発明される。

中世ドイツの修道女ヒルデガルトやヨーロッパの多くの僧侶が修道院などで用い研究する中で、治療薬としてのラベンダーが確立されました。14世期の腺ペストが大流行した際に、南フランスのラベンダー栽培に携わる方々が滅多に感染しなかったという事実で、一躍注目されるようになりました。15世紀ごろになると「ラベンダー」という言葉は、ラテン語の「洗う(ラヴァーレ)」に由来すると一般的に考えるようになりました。ラベンダーが沐浴に使われ、心身を清めるとされたからです。

 

イタリアのフィレンツェで始まったルネサンスがフランスにも影響を与え、1533年にカトリーヌ・ド・メディシスお抱えの調香師がパリで最初の香料店を開業すると、ラベンダー油だけでなくラベンダー水、サシェなどが人気を博します。しかし、それでも当時は純粋なラベンダー精油は手に入りませんでした。

17世紀、ラベンダーが香水の原料として需要拡大。南フランスで大規模な刈り取りが開始される。南フランスのラベンダー文化の始まりとなる。

16世紀から17世紀へと時代が移ると、ラベンダーは結核やペストなどの伝染症に効果的だとされ、良い香りが「悪臭」からの解放を促すと、一躍流行の植物となりました。オート=プロヴァンス地方では野生のラベンダーが定期的に刈り取られ、製薬業と香料業が発展します。この頃からラベンダーが薬だけでなく香料としても注目されるようになります。

 

そして、ようやく歴史上最も有名な香水の名前が見つかりました。1721年にパリで発売された「オー・デ・コロン」と名付けられたラベンダーと数種類の柑橘などを混ぜ合わせた香水は19世紀になるまで、150年以上もの間不動の人気を獲得したのです。

 

そして、19世紀末には服飾文化の発展とともに香水と化粧品の需要が著しく増大し、独特の産業を生み出していきました。

ラベンダーの黄金時代が幕開け。南フランス・グラースで製造された香り付き革手袋から、香水が一大産業へと発展する。

こうした時代の中で、16世紀以降の南フランスで香水の黄金時代が幕を開けました。南フランスの小さな田舎町グラースでは代々革なめし産業が栄え、革製品を製造していました。しかし、当時の革製品は動物臭やなめしに用いるアンモニア臭が残っておりヒドく嫌な臭いがするものでした。

 

そこで、グラースの革職人たちは、高級な革製品に香り付けをする様になります。これが、非常に良い香りがするということで当時の貴族の間でフランスの大ヒット商品「香り付き革手袋」となりました。グラース周辺にはバラ・ジャスミン・ミモザ・ラベンダーなどが収穫されますが、需要が増大したため革手袋の製造業者は、香水製造業者と手を組みました。1714年に、手袋・香水製造職人組合が設立されます。

19世紀には香水はフランスの大産業へ。プロヴァンス地方のラベンダーは希少価値が高く「青い黄金」と呼ばれるようになる。

当時はまだ野生ラベンダーの刈り取りだけだった農家にとって、まさに湧いて出てきた現金収入でした。ただ生えている”草”を刈り取るだけで大金を手にすることが出来たのです。そして、ラベンダーを販売する取引先は、目と鼻の先の田舎町グラースにまで進出しているのです。こうして、ラベンダー文化は香水産業と結びつき、南フランス・プロヴァンス地方で一気に発展していきました。

 

19世紀には他の都市でも革手袋が製造されると、一気にグラースの革産業は衰退し、香水産業だけが残ったため「世界の香水の首都」として知られるようになりました。グラースの香水産業はこの地域に莫大な利益をもたらし、やがてラベンダー産業は昔からずっと貧しかったこの地方の人々の最大の収入源となっていくのです。

20世紀、香水からアロマテラピーへ。ファッションから健康、代替医療へ「薬草」としての原点回帰が起きる。

1924年にはラベンダーのエッセンシャルオイルの生産量が100トンに到達すると、市民の間でもエッセンシャルオイルを用いるようになりました。当時はまだ野生ラベンダーが生産量の9割以上を占めていました。

 

ルネ=モーリス=ガットフォセというフランス人調香師が実験中に重度の火傷を負い、その場にあったラベンダー油をつけたところ症状が改善されたという体験をもとに、1937 年「アロマテラピー ( 芳香療法)」と名付けた論文を発表しました。薬草の中でも特に芳香性植物から抽出した精油が医療への利用に効果的であることをまとめた論文は、イギリス人などの間で流行となり世界中で「アロマテラピー」が発展することとなります。

 

フランスやドイツなどのアロマテラピーは代替医療として扱われ、イギリスやアジアではアロマセラピーとして美容や健康のために用いられました。

真正ラベンダー精油

戦後の大量生産と品種改良による商業化。1980年代以降、プロヴァンス地方の特産物としての品質を確立する。

1930年頃から農園での栽培が始まると、より効率的な収穫をするために、収油率の高い交雑種ラバンジンの栽培が著しく成長します。1950年代には野生の刈り取りはほとんど衰退し、工業的に優れたラバンジンや品種改良種が栽培の主要部分となります。野生ラベンダーを栽培した品種である真正ラベンダーは3割ほどを占めるようになりました。

 

1980年代には、ラバンジンの収穫が1000トンを超え、真正ラベンダーは50トンほどに減少し、野生ラベンダーは市場から姿を消します。そして、同じ頃にフランス政府がラベンダーの保護のために「原産地保護呼称」の制度を設けて、プロヴァンス地方の特産物としての地位を確立させました。

 

2010年代での真正ラベンダー精油の生産量は20トン、ラバンジン精油の生産量は1000トンで推移しています。

未来:小説「時をかける少女」で未来人が手に入れようとした薬草ラベンダーは、人類とともに生き続ける「癒しの香り」になる。

日本人にとって、ラベンダーとの出会いは「時をかける少女」(筒井康隆著)という方も多いのではないでしょうか。

 

南仏プロヴァンス地方では、原産地として高品質なラベンダー栽培に適していることから、より品質の優れた香料として栽培され続けるものと考えられます。一時期、合成香料や品種改良種の波に押されたものの、「癒しの本質」はそこにはありませんでした。人類が何らかの「癒し」を必要とし続ける限り、この香りはさらに発展していくはずです。

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