Founder
& Le village
忘れられた小さな村を
復活させた女性農家
ヴェロニク・ペルツァー
フランス・パリ出身。世界140カ国で事業を展開する大企業の管理職になりましたが、当時の女性キャリアの限界を感じて、ラベンダー畑を復活させることに使命を感じました。そして、2003年にパリから人口8人のアルジャン村に家族とともに移住を決意しました。
伝統的な真正ラベンダーを野生の種から育て、畑を耕し、蒸留所を建設しました。
2005年には大学で学んだ生物学の経験を生かして、100%天然成分で植物の美容成分にこだわった「ブルーダルジャン」のブランド品質を確立させました。



独特の澄んだ空気と
華やかな香り漂う村
標高1,400mの激しい寒暖差と
車さえ通らない保護された土地
約20ヘクタールのラベンダー農園は標高1,400mの山岳地帯に位置していて、年間を通して寒暖差の激しい気候が特徴です。真夏でも朝は8度しかないので早朝には長袖セーターが必須です。一方で日中には35度にもなります。空気の澄んだ環境と寒暖差が極上の香りを生み出します。
真正ラベンダーはもちろん無農薬栽培。大自然を保護する活動は、自然に負荷をかけないことが大前提。雑草の除草は羊たちが食べてくれます。そして、畑には多くの昆虫たちの姿。ふかふかの土と、ミツバチや野生動物が何よりの証拠です。

30年ぶりに復活した
アルジャン村の青い黄金
真正ラベンダーを「青い黄金」と呼び、
その価値を世界へ発信する村へ
1920年代のラベンダーバブルの後、合成香料や品種改良種の発展によってラベンダー精油の価格は暴落しました。その結果、ラベンダー栽培は割りに合わない仕事となってしまい、プロヴァンス地方の多くの農園が姿を消していきます。1970年にはアルジャン村のラベンダー栽培も途絶えました。
パリから移住したヴェロニク・ペルツァーは2005年に最初のラベンダー精油を発売しました。40年間放置されていたアルジャン村のラベンダーが復活を遂げました。その後、ヴェロニクは功績を讃えられラベンダー騎士団のシュバリエを受勲。今では観光客だけでなく欧州各国のアロマの専門家たちが勉強へと訪れる場所へと発展しました。
2015年には日本へ初上陸。中世から始まったアルジャン村のラベンダーとの歩みは、これからも進化し続けることでしょう。




ブルーダルジャン農園について

水道も電気も用いない蒸留所
中世から続く伝統的な水蒸気蒸留法を取り入れ、およそ100年前の蒸留器を用いてラベンダー精油を製造します。燃料は藁、水は湧き水という天然資源を利用し、エコロジーな製法を実践。

2億年以上前の石灰質の地層
ヴェルドン地域は世界有数のジオパークです。2億年前から現在も活動を続けるアルプス造山運動のおかげで、石灰質の土壌が地表へ露出し、ラベンダーの育成に最適な環境になったと考えられます。
※アルプス造山運動について詳しく知りたい方はNHK『体感!グレートネイチャー 「フレンチ・アルプス 知られざる絶景~プロバンス・ローヌ川~」』をご覧ください。

人口8人のアルジャン村
- 人口:8 - 10人程(夏のバカンス期には最大人口100人)
- 創立:588年頃に西ゴート族によって創立。その後、1200年ごろに10世帯ほどのイタリア人移民によって現在の場所に再建されました。これはオート=プロヴァンス地方で最も古い村のひとつとして知られています。アルジャンという村の名前は、「アルジェンテウス」というローマ人の名前もしくは、有史以前に銀が採掘されていたという伝説から銀鉱山があった(銀はフランス語でアルジャン)ことに由来します。