南仏・アルジャン村 について

ブルーダルジャン農園のある南フランスの小さな村・アルジャン村をご紹介します。「いつからラベンダー栽培してるの?」といった疑問から、村のこと、土地柄、住民たちの話…などなど、小さな村ではありますが奥深くユニークな土地だということがわかりました。フランス人さえも知らない、ラベンダーの村へようこそ。

アルジャン村 の概要

自治体:ラ・ミュール・アルジャン(ラ・ミュール村とアルジャン村の合併)

地域:アルプ=ド=オート=プロヴァンス

標高:1,350m – 2,120m

人口:8 – 10人程(夏のバカンス期には最大人口100人)

創立:588年頃に西ゴート族によって創立。その後、1200年ごろに10世帯ほどのイタリア人移民によって現在の場所に再建されました。これはオート=プロヴァンス地方で最も古い村のひとつとして知られています。アルジャンという村の名前は、「アルジェンテウス」というローマ人の名前もしくは、有史以前に銀が採掘されていたという伝説から銀鉱山があった(銀はフランス語でアルジャン)ことに由来します。

地理とアルプス山脈 の話

少しだけ詳しい地理の話をしますと、アルジャン村はフランスとイタリアの国境近く、ヴェルドン自然公園の東に位置します。この辺りはオーストリアやスイスから連なるアルプス山脈の西端でもあります。アルジャン村は標高1400mほどの谷合に位置しており、2000m級のコルドイユ山とモレル山に囲まれています。

 

ちなみに、地理や地学がお好きな方のために「アルプス造山運動」の説明もします。

今から2億年前くらいのジュラ紀までまだ海の底だったプロヴァンス地方。1億5千万年前のジュラ紀に入ると全地球規模の造山運動が活発になり、岩と岩がぶつかり合う激しい地殻変動が起こりました。その際に誕生したアルプス山脈なのですが、その激しすぎる地殻変動のために、古い地層が地表へと現れます。現在のアルジャン村周辺の地域(ヴェルドン地域)は世界有数のジオパークとしても知られ、貴重な化石や地層が保存されているため地層マニアにはたまらない地域なのです。この2億年前から現在も活動を続けるアルプス造山運動のおかげで、石灰質の土壌が地表へ露出し、弱アルカリ性の乾燥した土壌が生成され、ラベンダーの育成に最適な環境になったと考えられます。

 

さらに、アルジャン村は、地中海の乾いた温かい空気とアルプス山脈の冷えた空気が混ざり合う非常に寒暖差の激しい場所で、真夏でも早朝の気温が10度以下になることも珍しくありません。中世以来、ラベンダー栽培とその品質の高さで名を馳せたアルジャン村のラベンダー栽培に欠かせない地理的要因をまとめました。

「乾燥していて、寒暖差の激しい気候」
「地殻変動が生み出した太古の石灰質土壌」
「アルプスに囲まれた純粋無垢な湧水」

アルジャン村とラベンダー の話

アルジャン村とラベンダーの関係性を示す証拠はあまり多くありません。有史以来、野生ラベンダーが自生していたと考えられており、その地域での家庭薬として用いられていたと伝わっています。その野生ラベンダーを商用として摘みはじめたのが17世紀頃と言われています。1668年に村唯一の教会が建築されたことから、その頃にはラベンダーで生計を立てる家族がいたと考えられます。しかし、当時は大変貧しい農家が多かったそうです。

この頃には人口が200人を超え、現在のような村の形となりました。面白いことに、これは中世ヨーロッパで行われた魔女狩りの終焉とほぼ同時であり、パリではルイ14世がヴェルサイユ宮殿が建築していた頃です。

ラベンダー文化 とアルジャン村

19世紀には香水文化が花開き、ラベンダー収穫が盛んになります。当時はまだ野生ラベンダーの摘み取りのみしか行われていませんでした。野原に自生しているラベンダーを摘み取るだけの作業から、いよいよラベンダーの商用栽培へと転換するのは19世紀の終わりのことでした。

1871年に南仏の香水メーカー「マネ社」が創立されると、アルジャン村近郊の街バレームに自社蒸留所を設立します。この辺りの村で収穫されるラベンダーの品質が特に高いという事で、一帯の農家と高価格で契約したと言います。いよいよラベンダー農家が日の目を見ることとなり、ラベンダーバブルが始まろうとしている時代です。

アルジャン村でもラベンダー栽培を行い、プロヴァンス鉄道(1891年開業)で花を運びました。このプロヴァンス鉄道は、ラベンダーを農地から蒸留所そして香水工場まで新鮮なうちに運ぶために建設されました。

こうして、アルジャン村は1910年頃にラベンダー栽培の最盛期を迎えます。第二次世界大戦後の1940年代にはアルジャン村のラベンダー農地が40haへと拡大し、ラベンダー精油1Lあたり15,000フランスフランで取引された記録があります。現在の価値にしておそよ21万4千円にもなります。 (インフラ計算ソフト:The Inflation Calculator

これが、アルジャン村のラベンダーが「青い黄金」と呼ばれる由縁になりました。

アルジャン村の復興 の話

ラベンダーバブルの後、合成香料や品種改良種の発展によって、野生ラベンダーの価格は暴落しました。その結果、ラベンダー栽培は割りに合わない仕事となってしまい、プロヴァンス地方の多くの農園が姿を消していきます。アルジャン村のラベンダー栽培も例外ではありませんでした。

1965年に、ついにアルジャン村のラベンダー栽培が途絶えてしまいます。品質の良さや自然の香りよりも、大量生産が求められる時代の波には勝てなかったのです。

アルジャン村のラベンダー栽培が姿を消してから40年近く経った2003年の事。パリの大企業で働いていたヴェロニク・ブランが、忙しい生活のストレスに耐えきれなくなり、この地へハイキングに訪れました。この村に自生している野生ラベンダーを目の当たりにして、この村の復活を決意します。それはパリでの生活に疲れ切った自分自身のリセットでもありました。一家で移住して、アロマテラピーを学校で学び、畑を耕して、蒸留所を建設しました。

2005年に最初のラベンダー精油が誕生しました。40年間放置されていたアルジャン村のラベンダーが復活を遂げました。その後、2008年には精油品評会で金賞を受賞し、ヴェロニクはその功績を讃えられラベンダー騎士団のシュバリエを受勲。今では観光客だけでなく欧州各国のアロマの専門家たちが勉強へと訪れる場所へと発展しました。

2015年には日本へ初上陸。中世から始まったアルジャン村のラベンダーとの歩みは、これからも進化し続けることでしょう。

村の住民とバカンス

アルジャン村で年間を通して暮らしている村人は8人ほど。世界広しと言えども、人口8人の自治体なんてのはそんな簡単に見つかる話じゃありません。しかし、夏になると様子が一変します。夏には100人を超える人たちが集まってくるのです。

プロヴァンス地方は世界的に有名なリゾート地が多くあります。ニースやカンヌ、モナコ、あまり知られていないところではサントロペやマントンなど。地中海沿岸沿いの町は全てリゾート地と言っても過言ではありません。どんな小さな町にもカジノがあるほどです。

そんな中でアルジャン村はと言うと、最大で120人ほどの人々がバカンスで1ヶ月〜3ヶ月ほど滞在します。聞いたところの最長期間では6ヶ月間!!のバカンスだそうです。

なぜ山の奥深くのスーパーもカジノもないようなアルジャン村へこれだけ多くの人がバカンスに訪れるのでしょうか。

リゾート地になった
秘境・アルジャン村

実は、ほとんどの住民がマルセイユやニース、カンヌ、パリなどの都市部の人たちです。自分たちが住んでいる住居をバカンス期間中だけ観光客へ貸し出して、田舎へ避難します。

バカンス最盛期の7月〜9月は世界中の人たちがリゾート地へ訪れます。ニース空港降客数だけでなんと1300万人超!!道は大混雑、レストランは入れない、海は人だらけ、夜は路上で大騒ぎ….住民たちにとっては住み難くて仕方ない。そんな彼らは、山の奥深くへと避難してくるのだそうです。そして、リゾート地にある自分の住居を貸し出す事で不動産収入を得る。

ハイキングや狩猟に出かけたり、パラグライダーやバギーを楽しんだり、読書や日光浴で優雅に過ごして、夕方にはアペリティフ。なんとも羨ましいライフスタイルを送っている南フランス人なのでした。

アルジャン村のラベンダー

ブルーダルジャン農園のラベンダーは、そのほとんどがマルシェや地元販売店のみの販売となっております。これは、農園オーナーがお客様と向き合って直接販売したいという方針からです。そのため、2015年に日本での販売が始まるまでは南仏プロヴァンス地方だけでしか手には入らないラベンダー製品でした。

アルジャン村でヴェロニクさん自身が箱詰めし発送する製品たちは、全て空輸にて1週間で日本へと到着します。

南仏アルジャン村の空気、そしてヴェロニクさんのパワフルな愛情が詰まった製品をお楽しみ下さい。

《感謝と恩返し》
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先般の火災に際して皆様からの激励のお言葉、感謝申し上げます。

また、2020年は人類にとって未曾有の事態となり、フランスがこれほど遠い国だと感じるのは初めてのことです。それでもなお、フランスのラベンダーを皆様のもとへお届けできることに幸福を感じる次第です。

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