ラベンダー街道の拠点、マノスクへ。
7月29日、エクサンプロヴァンスを後にして、電車で1時間ほど北上したところにあるマノスクという小さな街にやってきた。
写真を見てわかる通り、駅を降りてから宿に向かう道のりに、これほど孤独を感じたことはない。延々と続く一本道。実際には2キロくらいだったらしいのだが、炎天下の中の先の見えない道ほど嫌なものはない。
ところで、こんな小さな街に来たのには理由がある。
マノスクは、人口は2万人ほどで特に市内には観光名所も見当たらない街だ。しかし、夏になると観光客が急増する。プロヴァンスのラベンダー観光の拠点となる街だからである。
この街を拠点として、西へ進めばアプト、ソーなどの有名なラベンダー畑がある。そして、東へ進めばヴァランソル高原というプロヴァンス地方最大級の広大な一面のラベンダー畑に出会えるはずだ。
(写真下の中央がマノスク)
ちなみに、プロヴァンス地方のラベンダーの一般的な開花時期は6月〜7月中旬なので、私が到着した7月29日は流石に遅すぎる。それでも、一縷の望みをかけて、プロヴァンス最大級の面積を誇るヴァランソル高原のラベンダー畑を見るためにやって来たというわけである。
マノスクの朝。7月30日は快晴。少し標高が高いためか、ニースやエクスよりずいぶん気温が低い。真夏の朝で20度というのは、なんと気持ちの良いことか。ちょうどいい、とは正にこの事である。
朝のコーヒーにクロワッサンをテラスで頬張るのも悪くない。フランス語でいうc’est pas mal (セ・パ・マル) な風景だ。
マノスク旧市街の入り口、ソーヌリー門。古い街では、必ずと言っていいほど入り口には立派な門がある。これは、旧市街内部と新市街は外郭の家々によって隔離されている為で、つまり、民家が石垣を為す、という訳である。それで、侵入者を防ぐ目的で、入り口はこの一箇所に集約されてしまった。
日本は、もともと天然の防衛設備である海に囲まれているので、異国の侵入者に襲撃されるというようなことは歴史上あまりなく 、このような城郭都市など必要なかったのかも知れない。
その城郭の外周を囲む幹線道路では、街路樹がいい具合に日差しを遮っていて自然のテラスになっている。日本も市街地郊外の幹線道路とか、こんな風になれば夏の意味不明な猛暑も少しはマシになるのではないか。
エクサンプロヴァンスとディーニュ・レ・バンは別方向。我らがラベンダー農園があるアルジャン村はディーニュ・レ・バンから、さらに奥の奥に進みます。
旧市街内部は割と広場がたくさんあって、レストランや教会もいくつかあります。
しかし残念なことに、7月30日は月曜日のため多くの店舗が休業日。フランス、特に田舎の方を観光される方、月曜日にはお気をつけください!
田舎街で、一期一会の出逢い
日本における神社やお寺と同じように、どんな小さな町にも必ず教会は存在している。特にすることがない時、こういうところのカフェに座り込んでぼーっと眺めるのも良い。旅は、現地の日常を観察すべし。
そのうち、隣に座ったおばちゃんやおじちゃんに話しかけられるだろう。
「どこから来たんだ?」
「日本から」
「ジャポン!うちのトラックはトヨタだ、四駆だぞ、良いだろう」
「そっか・・・」
フランスの田舎だと、日本のイメージは車かサムライくらいのものしかない。
反対に、日本の田舎だとフランスのイメージって何だろうか。今度、聞いてみようと思う。
教会内部は、どこの教会もさほど変わらない。だけど、とりあえず一回は寄っておく。
何にもないし、すぐに退出してしまうのだが、不思議と旅の習慣のようなものになっている。
教会の裏手に回ると、黒猫がこちらに向かってきた。
赤、緑、青とそれぞれの家のテーマカラーだろうか。これほど綺麗に並んでいるのも珍しい。プロヴァンスに来るたびに思うのだが、どうやって各家の色を決めていくのだろうか。隣同士で会議でもするんだろうか。
最後に、街のはずれにある画廊がたまたま開いていたので立ち寄ってみた。
マルク・リブーという20世紀を代表する写真家の展示会を無料でやっていた。世界的な写真家集団マグナムフォトの代表的なメンバーでもあり、報道写真として中国を初めて取材した人でもある。日本に来た時の古い写真も多く展示してあった。
実はお隣の建物にジャン・ジオノというプロヴァンス出身の作家の生家があるので行ってみたものの、やはり月曜休業のため見学できなかった。そこで、隣の建物を覗いてみたところ、素敵な写真展に出会した。
偶然にして素晴らしい芸術に出逢うのも、旅の醍醐味である。
続く。