《能登観光》超最短ルートで奥能登国際芸術祭に行ってみた。

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25回目の誕生日。四半世紀と言えどもあまり実感は湧かない。大学に入りたての頃は、25歳なんていうと随分と大人のように見えていたのに…いざ自分がなってみると、こんなものである。いつになれば大人になれるのであろう。

さて、能登島の旅館で最高の宴を楽しんだ翌日の話である。この日も快晴だったので以前から話題となっていた「奥能登国際芸術祭」に足を運んでみた。申し訳ないのだが、想像していたものよりも随分と素晴らしい作品ばかりだった。個人的にはあの21世紀美術館よりも楽しめたほどである。

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すっ飛ばしコースなら最短5時間で可能。

全く下調べをせずに行った今回の芸術祭。前日に泊まった能登島の旅館「山水荘」からの出発。

まず向かった先は珠洲の飯田地区にある道の駅「すずなり」。ここで情報収集というわけである。ここには、珠洲の特産や農産物(無農薬やオーガニックなども多い)が並んでおり、今の季節だと超絶美味な梨やぶどうなどが格安で手に入る。そして、案内所では地図や芸術祭の情報を入手したり、全エリアを回れるパスポートなどが販売されている。

ここについたのが12時半ごろだったので、今回はパスポートは手に入れず。1カ所の入場には¥300が必要だが、パスポートなら全37カ所を見ても¥2,500なのでお得だとのこと。(野外の展示品には無料のものもあります。)

昭和27年築の映画館でタイムスリップ

ここは南条嘉毅さんの作品「シアターシュメール」である。とうの昔に廃館となった古い映画館が壊されずに残っているというだけでもかなりの驚きであるが、その内部を改造して芸術品に仕上げられた完成度は半端ではない。残念ながらこちらは撮影禁止だったので、内部はぜひ実際にご覧になってほしいところ。

きっと当時の生活を知っている世代には考えさせられるものがあるのかもしれないし、若い世代にも「時間」について考えさせるものがあると思う。受け継がれるものとそうでないものの境界線というのはどこにあるのだろうか。

某有名珈琲店のさいはての岬で

映画のモデルにもなった二三味珈琲さんの昔の店舗がある木ノ浦海岸。本当に珠洲の端っこの方にあるのでなかなか遠いが、気持ちのいい海岸線をドライブしましょう。小学生の頃だったか、一度だけここの店舗で営業されている時に来たことがあります。今は珠洲市内の飯田地区にカフェがあります。こちらの海岸にも新店舗ができたようですが、月曜・火曜は休業ということでした。

 

ここの海岸にはロケで使われた家と様々なオブジェが並んでいた。

未来の神話は「ゴミ」が主人公!?

これは非常にユニークな作品である。太古の昔、能登の海岸には朝鮮半島から様々な物資や文化 (神様までも..!!) が持ち込まれ、能登国は大変賑わいを見せた時期もあった。しかしながら、現在の能登の海岸線にはよく朝鮮半島からの「ゴミ」が漂着している。それを逆手に取って、芸術にまで昇華させてしまったのがこちらの「ゴミ」の鳥居である。

奥の方を見ると、御神体らしき注連縄が結ばれた巨岩が見える。

これは、もしや本当にここに神殿があったのだろうか…
がしかし、それは幻想であったことが近づいて見るとよくわかる。

見事なまでの芸の細かさである。きっと流れ着いた布の切れ端であろう。

ちなみに、後ろにはゴミでできたお地蔵さんらしき祠まである。作者の強いこだわりが感じられる。いってしまえば今のお地蔵さんだって元はただの石ころである。石ころとゴミ…その違いはなんであろう。未来人から見たら、その差は五十歩百歩というやつかもしれぬ。

バス停だって芸術である。

海岸線で風も雪も強い珠洲市内では、バス停が小屋になっている。それをインパクトある形で表現した作品が「珠洲海道五十三次」だ。そのものには手を加えず、あくまで外側から枠で包むだけ。たったそれだけなのだが、とても印象深い作品だった。それに、デザインの本質を垣間見たような気がする。

無数のサザエでできた家は全てボランティアによる手作業。

元々はこの地区の漁師さんの納屋だったらしい。この芸術祭のために何日もかけてサザエを貼ったのだそうな。その無数のサザエの間には家がある。

作者曰く「サザエの貝殻に、一戸の家をみた。そんなサザエ貝を密集させることで、多くの人が支えあって生きる集落を表現しようとしている。」公式HPより

この貝殻一つ一つが家である。そして、それが集まることで集落が生まれ、さらに大きな家となる。その大きな家の中もまたサザエの形をしていた。「家族」が社会の最小単位とはよくいったものである。国家は、あるいは地球は大きな「家」となることができるのであろうか。

赤い糸で結ばれるものは血か運命か

昔、塩田で使われていたという「砂取船」。荷物は海中の砂である。

揚浜式塩田が唯一残る珠洲では、この砂を浜に敷いて、砂の上に海水を撒いて天日干しをし、塩分を含んだ砂の結晶を作る。現在ではその運搬はトラックなどに取って代わったのだが、昔は道路事情も違ったため船を使っていたそうだ。

赤い糸はそれを脈々と受け継いできた人たちの「血」である。戦時中には一時絶えかけたそうだが、塩が必要とあって復活したそうな。歴史と伝統の裏には延々と張り巡らされた人々の「血脈」が隠されている。

この作品の名前は「時を運ぶ船」。塩田(しおた)千春さんの作品。
500年以上もの歴史を運んだ船の重さとは…

そんなわけで、帰路は輪島を経由し七尾に戻ったのは17時すぎだった。

きっと全部回れば、もっと楽しいに違いない「奥能登国際芸術祭 2017」。現代芸術とローカルの融合はなかなか上手い具合だった。それこそ、無機質な美術館に押し込められるよりは遥かに見応えがある。何よりも、ボランティアの地元の方々がいい笑顔だったのが印象深い。

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