【南仏プロヴァンス地方の芸術家】コロナ後にもう1度行きたい美術館まとめ

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コロナが終わったら、どこに行こう。

もうコロナ禍を過ごして1年半が経ちました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。そろそろお出かけの予定を決めたいと思っている方もいらっしゃるでしょうか。国境が遠くなってしばらく、私もついにフランスに行けずに丸3年が過ぎようとしています。

いよいよヨーロッパではワクチン接種も中盤にさしかかり、日常を戻し始めている気配があります。このままうまく行けば、来年には制限なしでのフランス旅行も叶うかもしれません。いや、そうなってもらわねば、と切に思います。

今回は「コロナ後に行きたい南フランス」ということで、南仏の美術館をまとめてみました。今回は私自身が訪れたことのある美術館で、一人の芸術家の名前を冠した美術館のみご紹介します。ご参考になりましたら幸いです。

国境の街マントンを愛した、ジャン・コクトー

ジャンコクトーとピカソ / ニースの映画スタジオにて

ニースから電車で30分ほどのところにあるイタリアとの国境の街マントン。小さな地中海沿いの街にジャンコクトーの最も優れた美術品が集まっています。この街は100年以上の歴史ある野外音楽祭とレモンが名物の街。もちろん、地中海のビーチを眺めるリゾート地でもあります。

マントンとコクトーの歴史は今から70年前に遡ります。1955年、コクトーはマントンの歴史ある野外音楽祭にゲストとして招待され、その街を深く気に入ったと言います。1956年にはマントン市長からの依頼によってジャンコクトーが市庁舎の結婚式場の装飾を担当すると、名誉市民となりました。翌年、1957年にはマントンの港にある古い要塞をコクトー自身の美術館に改造することになります。

1600年代の古い要塞を改築したコクトー美術館は、コクトー自身がデザインを手がけたものの、完成したのはコクトーの死から3年後の1966年のことでした。

ジャンコクトー要塞美術館 / マントン

コクトー要塞美術館

実際のところ、コクトーの肩書きというのは画家ではなく詩人だったと思いますが、ことマントンの美術館では、彼の多彩な芸術家、現代で言うなれば「マルチタレント」としての側面が存分に楽しめます。後述のもう一つの美術館と合わせると、デッサンをはじめ多くの絵画、陶器、詩、映画など…コクトーのコレクションとしてはこれ以上にありません。

ジャンコクトー要塞美術館 / マントン

美術館としては珍しい本物の要塞を使っていることで、絵画が掛けられている壁面もレンガと岩で構成されたユニークなものになっています。コクトー本人が美術館をデザインしたということだけあって、作品数は限られていますがとても良い空間を楽しむことができます。

ジャンコクトー・ワンダーマン美術館

ジャンコクトー・ワンダーマン美術館 / マントン
ジャンコクトー・ワンダーマン美術館 / マントン

要塞美術館の近くには、コクトー収集家ワンダーマンが寄贈した1800以上の作品が展示されるジャンコクトーワンダーマン美術館もあります。こちらの方が現在はメインの美術館として多くの展示品があり、期間によってはピカソ展など南仏ゆかりの画家の展示会などもあります。

マントン港からイタリア側を臨む

南仏に暮らして平和を描いた、パブロ・ピカソ

アンティーブのピカソ美術館

ピカソといえばパリのイメージが強いかもしれませんが、晩年のピカソの拠点は南フランスにあります。

ピカソが64歳になった頃、戦後まもなくの1946年にフランソワーズジローと地中海沿いの街ヴァロリスに暮らし始めると、それ以降南フランスで多くの絵画・彫刻・陶芸などの芸術作品を残しました。特に、ヴァロリスの工房で制作した多くの陶芸作品や「平和」をテーマにした絵画が多いのが特徴です。特に、ヴァロリスにある『戦争と平和』という巨大パネル、アンティーブで製作した絵画『生きる喜び』などは必見です。

その後、1955年から二番目の妻ジャクリーヌ・ロックと結婚し、カンヌ近郊の別荘地ムージャンに暮らすと、1973年に91歳で亡くなるまで27年間を南フランスで過ごしました。

アンティーブ・ピカソ美術館

ピカソ美術館の外観

ニース空港から電車で20分の港町アンティーブ。港町でもあり、リゾート地の雰囲気も漂うアンティーブで、ピカソは戦後まもなく1946年9月から11月までの2ヶ月間を過ごしました。そして、その滞在には「グリマルディ城」という紀元1世紀の古代アクロポリスを起源にもつ歴史ある城砦をアトリエとして用いて作品作りに没頭し、23枚の絵画と44枚のスケッチを残しました。

ピカソが滞在で描いた絵画はアンティーブ市に寄贈され、アトリエとして用いた「グリマルディ城」はピカソ美術館として開業することになりました。ヨーロッパに4つあるピカソ美術館のひとつが、このアンティーブにあります。さらに、多くの寄付や購入、ピカソの二番目の妻ジャクリーヌからの寄贈を受けて、美術館のコレクションを充実させました。現在は245点の作品が展示されているようです。

現在はピカソのコレクションだけでなく、現代美術コレクションや、テラスにはミロの彫刻『海の女神』なども見ることができます。私自身もフランス出張で2度訪問したことのあるお気に入りの美術館の一つです。

ピカソ美術館のテラスから地中海

ピカソ全盛期の作品群はパリやニューヨークなどにありますが、こちらは晩年の作品というだけあってシンプルで落ち着いた美術館です。南フランスの他の美術館と同じように、こじんまりとしていて人も少ないので、作品をじっくり見れるようになっています。

現在もそのままの形で残るピカソのアトリエや、近郊のヴァロリスで制作した78点もの陶芸作品は見どころの一つ。戦後まもなく描いた『生きる喜び』は地中海の背景と合わさって、とても感動的な作品です。

南仏アルルで療養中に数多くの傑作を描いた、ゴッホ

アルル・ゴッホ財団美術館と自画像(特別展)

19世紀のポスト印象派を代表する画家、フィンセント・ファン・ゴッホも南仏プロヴァンス地方で一時期を過ごした画家の一人です。しかし、彼の場合は南仏が気に入っていたから、というよりは別の理由があったようです。

1880年代後半のパリではルノワールやモネなどの印象派から、スーラなど新印象派の絵画に流行が移行している時代。ゴッホは自身の描いた作品を発表し続けていましたが、なかなか日の目をみることはできませんでした。

そして、ジャポニズム(日本ブーム)で浮世絵に熱中していたゴッホは、カリブ海のマルティニーク島から戻ったゴーギャンと出会います。その頃には、アブサン中毒によって精神状態が悪化していたゴッホは、南仏プロヴァンス地方の明るい太陽と、地中海の空気を求めて旅立ちました。

《夜のカフェテラス》のモデルとなったカフェ

ゴッホが滞在したのは、南仏の古都アルル。現在のフランス版新幹線TGVでも4時間はかかる場所です。夏はとても暑く乾燥していて、パリの気候とはまるで正反対。ゴッホはすぐに作品を制作し、到着した1988年のわずか1年間で『アルルの跳ね橋』『夜のカフェテラス』『ローヌ川の星月夜』など、後世にその価値が認められる傑作を数多く描きました。

アルル・ゴッホ財団美術館

アルル・ゴッホ財団美術館

そんなゆかりあるアルルに2014年に建築されたのがアルル・ゴッホ財団美術館です。実は、私のフランス留学時代にこの美術館がオープンしたこともあり、偶然にもオープニング特別展に立ち寄ったのが最初の訪問です。そのためか何かとご縁を感じていて、南仏旅行の際には立ち寄りたい場所の一つになっています。

麦束のある麦畑

世界中の美術館から集められた作品を展示していて、企画展にもかなり力を入れているので訪れてみると思わぬ作品に出会えることもあります。また、この美術館は現代アーティストやゴッホと関わりのあった芸術家の展示も行っているのも特徴。歌川広重などジャポニズムを代表する浮世絵も数多く展示されています。

旧アルル市民病院の中庭

アルル旧市街は世界遺産にも登録されていて、中世からの美しい街並みが特徴なのですが、ゴッホが描いた場所が今でも現存しているので、あたかもロケ地巡りのようなこともできます。旧アルル市民病院の中庭もその一つ。

1888年12月にあの有名な「耳切り事件」の後に療養のために収容されたのがアルル市民病院です。現在では、共同住宅になっていて実際に暮らしている方もいるのですが、中庭は観光客に開放していて当時の様子ほとんどそのままの状態を知ることができます。

印象派やゴッホがお好きな方にとっては歴史の舞台となった場所ですので、アルルを訪れるだけでも価値ありと言えるかと思います。

アルルの路地裏

南仏プロヴァンスに芸術家が集まる理由

この他にも、パリで活躍した多くの画家が南仏プロヴァンスを訪れています。

枚挙にいとまがないとはこのことで、エクサンプロヴァンスを中心に活動したゴッホと同時期の画家ポール・セザンヌや、サン=ポール=ド=ヴァンスで余生を過ごしたマルク・シャガールもいます。南仏の小都市アルビはロートレックの出身地として知られていて、ロートレック美術館があります。

現在でも南フランスの各都市で芸術文化の祭典が多く行われており、有名なのはカンヌの国際映画祭、アルルでは国際写真展、アヴィニョンでは演劇祭、そして、南仏の各都市では夏に野外音楽祭が開かれます。つまり、近世以降の南フランスは芸術の街として発展し続けてきました。

アルル旧市街

中世にタイムスリップしたような小都市が点在している南フランスは、芸術家の何かを刺激するのかもしれません。南フランスから日本に帰ってくるたびに思いますが、どの街にも旧市街と呼ばれるエリアがあり、本当に中世ローマそのままの街並みが残っています。

また、街中には電柱などの景観の妨げになるようなものが少ないので、人がいなくなると本当にタイムスリップした感覚になります。

アンティーブの海岸

19世紀以降に南フランスがリゾート地として確立したのは、この独特の空気と太陽のおかげと言っても過言ではありません。日本から長旅を経てニース空港に降りると、乾燥した生暖かい空気が身体中に飛び込んできます。カラフルな家とレンガの瓦、そして太陽の光が反射して眩しい地中海の碧のコントラストは、目を元気にさせてくれます。

カンヌ国際映画祭などはビジネス的な側面からも捉えることができるでしょう。映画産業の巨大マーケットと、フランス最大級の高級リゾート地カンヌが結びつくのは自然なことのように思えます。ゴッホの時代にはまだ芸術がビジネスとして成功を収める時代ではなかったかもしれませんが、戦後には芸術も一つの産業として考えられています。戦後の南フランスのリゾート地としての発展は、芸術家にとって作品発表の場としてユニークな選択肢になったのは間違いないはずです。

アンティーブのピカソ美術館

一大観光地であり、芸術都市としても発展し続けた南フランス。今回のコロナ禍で大打撃を喰らったのは間違いないはずで、今でも休館している美術館も多くあります。いつかまた心を豊かにしてくれる芸術作品と、南フランスで出会えることを願ってやみません。

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