織田裕二さんの著書「脱線者」のレビュー

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数ヶ月前、ぼくは踊る大捜査線の映画シリーズを見返した。理由はドリフターズのいかりや長介さんの芝居を見たかったからである。ぼくは昔のコメディが大好きで、それこそクレイジーキャッツの「大人の漫画」や「しゃぼん玉ホリデー」などに夢中になった。その頃の笑いは、今の時代にはないような上品なユーモアと毒、そしてウィットに富んだ会話を繰り広げていた。大人の笑いとはこういうものかと思った。故人でなければ、タモリさんがそれに当たる。タモリさんが特集されている「SWICH」は予備で2冊買った。

 

話が逸れてまったが、踊る大捜査線を見返した理由は織田裕二さんを見るためではなかった。しかし、その映画でいつしか主演の織田裕二さんの演技に惹かれていた。織田裕二が織田裕二であると一目でわかる演技の原点は、一体なんなのかと思った。そして、色々と調べていると、エッセイを出版していることがわかったので、読んでみた。

アツい文章でありながらも、結構かるく読めてしまう。1〜2時間くらいあれば読めるのではないだろうか。

若者に向けられた死生観

5部構成で書かれた本の第一部は「死生」。自身の生い立ちに関してネガティブな単語がずらりと並んだ末、たどり着いたのは「死んだつもりなら、何でもできる」という結論だった。あの演技のアツさの原点は、この死生観にあるのかもしれない。ぼくは幸いなのか、そんなに思い詰めないで今までの人生を送ってきた。

「大人の世界」への憧れ

5部構成で書かれた本の第一部は「死生」。自身の生い立ちに関してネガティブな単語がずらりと並んだ末、たどり着いたのは「死んだつもりなら、何でもできる」という結論だった。あの演技のアツさの原点は、この死生観にあるのかもしれない。ぼくは幸いなのか、そんなに思い詰めないで今までの人生を送ってきた。

大人が大人の威厳を持っていない。だから「若さ」がもてはやされる。大人が「若さ」に擦り寄る。これは不健全だと僕は思う。

これを読んだ時にふと思った。そう言えば最近、威厳のある大人に会ってないな。年寄りでさえ若くあろうとする。化粧品の世界でも同じで、30歳か40歳を過ぎた頃から使い出すアンチエイジング。日本語に訳せば「抗老化」だ。しかし、老化対策なんてのはそもそも不気味な話である。自分でわざわざ「老化」を意識しながら、それに反対し続けるわけだから一生その老化が頭から離れることはない。それならばそんなことを忘れて、そもそも「時間」ということさえも忘れるくらい何かに夢中になってみてはどうかと思う。そうしてできたシワは、逆にいつまでも残しておきたいものに変わっているかもしれないし、僕は美しいと思う。ぼくはそれをフランスのプロヴァンス地方で暮らす人々から学んだ。

とにかく最後までアツいエッセイ

一貫してこの本が語るのは「負けず嫌い」の精神。人生のレールを自ら外れ、自分で道を作るという難しさと面白さ。そして、自分と闘い続けるエネルギーの大きさ。そうしたものが凝縮された本だった。どうやら若い人に向けられた本のようだが、ぼくはこれを若い人だけでなく、大人たちこそ読むべきだと思う。

人間にとって、いちばんさびしいことは「やりたいこと」を見つけられないことだと思う。...中略... 最初から好きなものばかりではない。それよりもまず、一歩踏み出す勇気。それさえあれば、「やりたいこと」はきっと見つかる。

一貫してこの本が語るのは「負けず嫌い」の精神。人生のレールを自ら外れ、自分で道を作るという難しさと面白さ。そして、自分と闘い続けるエネルギーの大きさ。そうしたものが凝縮された本だった。どうやら若い人に向けられた本のようだが、ぼくはこれを若い人だけでなく、大人たちこそ読むべきだと思う。

そう言えば、ぼくは中学生の頃から「大人」に憧れた。早く大人の世界に入りたいと思った。そして、20歳を過ぎた今思うことは「本当の大人」は意外と少ないのかもしれない…ということ。みんなどこかで大人になることを断念してしまったのかもしれないなと。

ぼくの理想とする大人像は、オードリー・ヘップバーンやフランク・シナトラ。アメリカを代表する大女優と名歌手だ。イタリア・トリノにある映画博物館で彼らのスチル写真を見たときのインパクトは忘れられない。そこには、佇まいと顔から発する自らの生き方を貫く「大人の強さ」と、輝きに満ちた目から垣間見る「精神の若さ」に溢れていた。

この本は、大人のためのエッセイでもあるのかもしれない。たまにはこういうエッセイを手に取るのも良いもの。俳優さんのエッセイを読むのは初めてでしたが、なかなか楽しめました。

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