フランス留学から起業家へ人生を変えたラベンダー

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はじめに

今のぼくの仕事は、「ブルーダルジャン」という南仏のラベンダーブランドを日本中に広めることだ。このラベンダーの香りは優美で爽やかだが、どこか野性味のある力強さが含まれる。プロヴァンスに根付く文化の象徴のようだ。

その香りに魅了され、取り憑かれ、いつしか会社を立ち上げていた。フランス留学から帰国して一年足らずの大学生が、である。

最後の旅行のはずが、冒険の入り口に。

2014年7月、フランス留学はいよいよ残り1ヶ月というタイムリミットに差し迫っていた。7月25日、ボルドー大学の語学学校 (通称DEFLE) の夏期講座を終えたぼくは最後の旅行の計画を立てていた。

当時、日本に帰ってから農業の会社をスタートアップするはずだったぼくの計画は、「フランスの農地を見に行く」ただそれだけだった。だから、その場所を選んだのにはコレと言って深い理由などなかった。とにかく色んなものを吸収して帰りたい一心で決めた。

それが、プロヴァンスのラベンダー畑だった。

ラベンダー畑に行くには、まずアヴィニョンという街に行く必要がある。そこからはバスツアーを申し込んだ。なんせ何の交通手段のない山の中だから仕方ない。そういうわけで、アヴィニョンでは前泊をして街の観光を楽しんだ。実は2度目の訪問だったので、前回知り合ったのワイン屋さんに顔を出したりした。そこで試飲させてもらった自家製の中世ワイン(le vin médieval)なるものが未だに印象に残っている。イポクラスというお酒なんだそうで、ワインにスパイスや蜂蜜などを添加して作るらしい。もう3年前になる写真。しみじみと思い出すと懐かしい記憶が蘇る。ここでワインを試飲しながら、いろんなことを話した記憶がある。特に、お店の経営について「何事も少しずつ…」と仰っていたのは印象深い。

アヴィニョンからラベンダー畑へ

5〜6人ほど乗れる小さなツアーバスは山の中をひた走り、いよいよ目的地のラベンダー畑へ向かった。猛スピードで山の中をグルグル走るのでかなり酔った記憶がある。しかし、そんなことは一瞬で吹き飛ぶ絶景が眼前に飛び込んだ。

後になって気づいたことだが、正確にはラベンダー畑ではなくラバンジン畑である。まあ、そんなことはこの時の自分には関係ない。そこら中に広がるラベンダーの心地よい香りと必死に蜜を集めているであろうミツバチの羽の音、そしてどこまでも続くラベンダー畑に夢中になった。これは日本では見ることのできない景色だ。プロヴァンスの少し涼しげな風と日差しの強い太陽、そしてラベンダーの香りが一帯に漂う。やっぱり自然に囲まれるのが好きなんだと思った。

よくポスターなどで見かけるセナンク修道院のラベンダーはすでに刈り取られていたので、残念ながら見ることはできなかった。

それから、フランスで最も美しい村として有名になったゴルドへ。崖に張り付いたように村ができたらしい。朝、8時ごろに出発したツアーはお昼を過ぎたあたりでアヴィニョンへ戻り、解散となった。これが私のラベンダーとの出会いだった。

農業起業のはずが輸入を始めることに。

帰国後、プロヴァンスから持ち帰ったラベンダーのお土産を配った。香りがぼくの好みだったということもあり、たくさん買ってきていたのだった。確か、エッセンシャルオイルや保湿クリームのようなものだったと思う。これが好評となって、また買いたいという人が現れた。僕ももう一度欲しかったからお土産で買った直売所へ聞いてみることにした。すると、これが見事に却下された。海外には出していないとのことで、出すつもりもないということだった。

そんな中、たまたま目に飛び込んだのは新聞記事だった。プロヴァンスの地方新聞がラベンダー農園を紹介していたのだ。

ぼくのパソコンの中に埋もれていたデータが見事復元したので、当時の記事をみることができた。記事のタイトルは「情熱を持った若手農業家」。その中のラベンダー農園を興した女性農家としての特集だった。(写真右がオーナー)

この記事を見て、直感的にメールを送った。すると、不思議にも2週間後には製品が届いていた。輸入の了承を得ることができたのだ。それからというもの、農業起業なんてことはすっかり忘れるくらいラベンダーの世界にハマった。

そして、紆余曲折ありつつも年が変わった2015年5月に法人化した。なんの取り柄も才能もない人間がたった一つの新聞記事を見て、会社を立ち上げてしまった。何かに夢中になるというのは恐ろしいことである。そして7月、再びフランスへと向かった。

桃源郷を見た、秘境のラベンダー農園

まさか一年後にフランスへ再び戻ってくるとは夢にも思わなかった。自分のこれからの仕事の土台となるラベンダー農園へは家族も同行した。ニース空港に降り立ち、レンタカーで6時間もかかる山の中。アヴィニョンの時に訪れたラベンダー畑とは違い、随分と標高の高いところだった。

そして、たどり着いたのはアルジャン村という標高1,400mの人口15人の小さな村だった。ラベンダー農園「ブルーダルジャン」はそんな場所にある。フランス人でも知らないような小さな村だった。そして、農園のオーナーは僕たちを心から歓迎してくれた。ラベンダー農園へは大きな4WDのトラックの荷台に乗せられて連れて行かれた。それで小さな川だって渡るのかと感心した。

トラックの荷台に乗ってたどり着いたのは、静かなラベンダー畑だった。正確にはミツバチや虫や風の音で賑やかだったのだが、人の気配が一切しない静まり返った場所だった。そして、淡いラベンダー色に驚いた。自分が記憶していたのは濃い紫一色に染まった大地だった。しかし、ここは違った。それぞれの花が白、青、ピンク、紫と様々な色で咲いていた。

本当のラベンダーは一色ではないそうだ。今や多くのラベンダーは不稔(種子を残さない種)となったためクローン化されていて、そのために一色でしか咲かない。しかし、ここのラベンダーは違った。野生のラベンダーから採取した種から苗を育てると様々な色で咲き、それぞれの花に個性を持つ。その花には野生の様々な昆虫が集まっていた。そして、山の木々と太陽と風と全てが調和する場所だった。ここには人間界の世俗などなかった。完全に自然界の法則が優位な世界を見ることができた。

留学生から起業家へ

こうしてたった1年間の留学生活から起業へとシフトチェンジしていった。まさか自分が起業家というカテゴリーに入るという自覚はなかったのだが、自覚というものは後からついてくるらしい。留学体験をどう役立てるかは人それぞれ。帰国後、ぼくはフランスへ再び戻りたいと思った。だから、フランスと繋がり続けるチャンスを待ち、その機会を得た。考えることはなかった。何か面白そうだし、とりあえずやってみようと動いた。すると、本当に面白いことになった。幸いにもいろんな人たちが協力してくれたし、そのラベンダーが多くの出逢いを引き寄せた。

もちろん、このラベンダーと出逢えたことが何よりの留学の成果だった。ここに至る1年間の留学のプロセスは書き尽くせないほど大きい。そして、それが今度はさらに大きなものを運んできた。それは、起業家という自分との新たな出逢いだった。自分の知らない自分に出会うことはスリリングだが面白い。今度はどんな自分に出会うのだろうか。

そして、社会人への第一歩として銀行、商工会議所、役所などなど様々な面倒臭い(?)手続きに追われるのだった。続く。

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